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炊き出し活動を三ヵ月続けてみて

念願のキッチンカーをゲットしたのが昨年十一月の頭だから、週二回の炊き出し活動を続けてそろそろ三ヵ月になる。

最近は行列がとにかくやばい。

最初は50食でも十分だったのに最近は200食は出る感じ。

元々こういう活動はいつかやってみたかったんだんだよな。

だけどこういうのって継続できるかもわからないのに一回二回やってみるのってどうなのかなという気持ちがあって、一度活動し出したら俺に金がなくなるとか死ぬとかパクられるとか、そういう何があっても継続出来るようにしたいと考えていた。

別に俺は偽善を悪とは思わないけれど、数字稼ぎで社会貢献のフリをする「ホームレスに〇万円渡してみた」みたいなユーチューバーとは絶対に同列になりたくなかったのもあって体制を整えていたんだ。

金がある時にしか出来ないことってあるだろ?

悲しいけど金がなければ出来ないこと、影響力なんかもあるといいよな。

金と影響力があっても、自分がいなくなった時のことを考えると信頼できる人間がいないと出来ないことでもある。

継続を前提としたホームレス支援を考えた時に、まず最初に浮かんだのがそこらへんのポイント。

難民だったり孤児だったり、支援や寄付をしようと思った時にたくさんの選択肢があるのにどうして路上生活者が第一になるかっていうと、やっぱり「明日は我が身」という感覚があるからだと思う。

そうだな。炊き出しを手伝いに来てくれたMC漢に言わせるとこんな感じ。

もし俺が、何かで全力の勝負をして、そしてそれに負けて身ぐるみ以外に何もなくなっちまって頼る友達もいなかったらやっぱり路上生活になる。

戸籍や口座を売るのも後に人様に迷惑がかかるだろうし、だったらてめえ自身でやり直したいぜ。

ホームレスは人生の落伍者みたいなイメージあるだろ?

それは違う。起死回生のプランを淡々と練りながら段ボールハウスで暮らしている人だっているよ。

仲良くなって話を聞いていると、すごい経歴のやつにも結構出くわすんだ。

まあ嘘か本当かはわからないけれど、一流の証券マンや銀行マンだったみたいなおっさんも結構いる。たまに嘘つきの目をしてるやつもいるけどな。

酔っぱらって記事を書いているから乱文で申し訳ないんだけど、段ボールハウスを見下しながら通り過ぎていくあんちゃんらよりも、知識も経験も学歴すらもあるって場合がマジにあるんだよ。それが今の日本。

俺なんかはいつ全てがなくなるかっていう暮らしを続けていたのもあって、本当に明日は我が身っていう感覚が強い訳。

でもこれってよ、本当に俺だけが持っている感覚なのか?よく考えてみろって。本当にお前は絶対に一生大丈夫なのか?

俺は別にそんなに自信はないぜ。

だけどもしも全てがなくなった時に、ある時には何もしていなかったくせに不満だけを垂れる人間になりたくはない。

俺だって稼いでる時はなあ、あれしたりこれしたりで、だから今は目の前に空き缶置いてるけど全然恥ずかしい事じゃねえんだって思いたい。

別に照れ隠しでこういうことを書いている訳でもなくて、なんていうかな、とにかくやりたかったことをやっているだけ。

台詞が渋いで定評のあるこの俺がこんなくさい台詞を言いたくないんだけど、生きてる意味とか運命って感じたことあるか?

俺は少し感じていて、この炊き出しの活動を仕切らせているやつが若年ホームレスだったこと。そいつを拾って、免許を取らせて運営をやらせて、そしてその活動が注目を浴びはじめて行列も出来ている。

なんかドラマだろ?

そいつはお母さんが再婚して、再婚相手の相手の実子が出来て家庭に居づらくなってみたいな典型的なやつ。

神奈川でホームレスやっていたところを拾って、今ではまあまあ使えるような人材になった。100点満点で12点くらいにはなった。

その話は置いておくとして、とにかく生きているってことは諦めないってことなんだ。

通りすがるだけの人は人生を捨てているって思うのかもしれないけれど、話してみると全然違うよ。

起死回生のプランなんかを語ってくる人も結構いるし、部屋さえ借りる貯金が出来たらあとはああしてこうしてって具体的に考えている人もいる。

だったら今の俺にはなるべく旨い飯を振舞うくらいしか出来ないけれど、それを続けていけば、もしここを抜け出してサクセスした誰かが、俺を助けてくれるかもしれない。その時に俺が困っていたらだけど。

貯金の残高や部屋の間取り、それに車や時計なんていうのは人間としての価値にはなんの足しにもならない。

いくらゼニがあろうと屑は屑だし、そういう砂上の楼閣を築いているやつは一発で全てを崩されるし崩したこともある。

長生きは当然したい。母ちゃん一人にしたくないしそれはそうなんだけど、だからと言って自分だけが良ければいいとも考えたくない。

金、札束、良い匂いがするよな。

すごく大事なものな気がしてしまうし、その紙切れが何枚か減っただけで心を切り裂かれるように思ってしまう。

だけど、それがないのが当たり前の人、ない中でどう生きているか、どう人間関係を構築して人生のプランを考えているか。

そういう人と接していると物の見方は変わってくる。

しかしそんな事を書いた翌朝には持っている株の株価をチェックしてみたり、クレジットカードの利用額を見てみたり。

結局そういうのが人間なんだろうな。

だけれどこの活動、本当に楽しいんだ。本当にやってよかったなと思う。

料理が上手くなってモテる、応援してくれる企業の人、飲食店の人が増えて仲間が広がった。画面越しでずっと応援していたような競輪選手が炊き出しを応援してくれている企業の商品を買ってくれた。

あとは正直な話でコスト。

最初の方は全部自腹で、このクオリティを維持するとかなり金がかかるななんて心配してたんだけど何でもなかった。

米から調味料から海産物に肉、麺類にチルドの有名店メニューまで、協賛で間に合うようになったんだ。

正月の蕎麦の炊き出しの時なんかは海老天と焼き鳥しか原価がかからなかったんだけど、そういう投稿をしたら天ぷら屋さんと焼き鳥屋さんからDMが来た。もうほとんど金はかからない。

蕎麦が炊き出しで好評だったと言ったら、うどん屋さん、ラーメン屋さんからもDMが来た。

美味しく茹でられるように現場から来てくれるとのこと。

俺は思ったね。

やっぱりこの国はいい国で、いい人もいっぱいいるんだなって。

俺なんかは金銭トラブルの回収や詐欺師捕まえたりなんかしているもんだから、この国はマジにどうしようもない屑が多いなと思ってしまうけど、そういうやつばっかり見てると心が錆びてくるんだよな。

何ていうかな、連中は目玉が変な色してるんだ。感覚的な言い方になっちまうけどなんだか暗く濁ってるのよ。

雰囲気もずっと水の入れ替えをしていない金魚鉢の水みたいに淀んだ空気を身に纏っている。

良い時計なんか着けやがってるやつからはその対比で余計にそれを感じることもある。

ストリートで生きている人はそんな連中と比べるとよっぽど良い目をしている。それを手助けしている人も良い目をしている。

それにしても炊き出しはどうして楽しいのか。

ウィンストン・チャーチルが「私たちは得ることで生計を立て、与えることで生きがいをつくる」なって言ってたけど、近年の研究だと、この「人のために何かをすること」は最も幸福度が高くなるらしい。

酒、タバコ、コーヒー。それ以外にも音楽、ゲーム、映画、旅行、ドライブ、ショッピング。セックスやドラッグ、それに最近だとSNSのいいねの数なんかも多幸感が得られて依存しちまうんだってな。

つまり大麻を吸いながら良い音楽を聴いて、その後に女とショッピングに行ってセックスをしたのと同程度の幸福度が炊き出しにはあるっぽいんだ。

なんだよ。

良い事してるつもりが俺はすっかり炊き出しジャンキーになっちまったみてえだな。

以上、何が書きたいかわからなくなってきたからおしまい。

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